明日七月一〇日は、詩誌『ガーネット』と『Down Beat』のスタッフとして、ポエケットに参加する。会場は江戸東京博物館。例年、この二つの詩誌は同じ机で出展するので、店員として兼務ができる、というわけだ。同人の詩集も販売される。小川三郎さんはいつも自選のアンソロジーを作成して販売するので、これに感化されて当方も初物をもっていきたいと思っていた。で、今年は新しい詩集『怪獣』をもっていく。柴田千晶さんも自選のアンソロジーをこの日のために作成したらしい。わたしは『怪獣』に加えて、『ハンバーグ研究』というのももっていく。これはこのブログで書いた短詩もどきをまとめたものなので、小詩集という感じであろうか。これらはいずれ、このブログで注文できるようにするつもり。
宣伝がてら、詩集『怪獣』冒頭の詩「みかどパン」を転載しておこう。原文は下揃えで、みんなに読みにくいと不評のスタイル。しかし、これは後期の会田綱雄への敬意のしるしなので、しばらくはやめられない。この詩は、前に柿沼徹さんが主宰した東京上野・根津近辺の散歩会のときにみた実在のお店「みかどパン」に触発されて書いたもの。こういうパン屋、子どものころには京島なんかにはあったよなあ(実は今もある)、という気分だけで書かれている。
みかどパン
そこにはめじるしの木があり
わたしたちの群れは
おおきくふたつに分けられていた
みかどパンが
しつこく
暗いパンのしつもんをする
こどもたちはつらい選択をせまられた
ジャムか
つぶあんか
その片ほうでしか
結局にんげんは生きていかれない
みかどパンの主人は
一度も店の奥からあらわれず
なにも助言しない
(あっ、そう)
えらべないこどもらは
木の前で長くさびしい影になってならんだ
かれらには世界はまだ分かたれていない
それがしあわせかどうか
みかどパンの主人は
あいかわらず何もいわない
(あっ、そう)
わたしたちはいつも
みかどパンの前に
日暮れまで放置されているだけ
そこには
ためらうためのめじるしの木があった
ここにでてくる「あ、そう」は昭和天皇のモノマネだが、今では注を入れないとわからないかもしれない。しかし、詩においてわかることはそんなに大事なことではない。教養を伝えるために書くんじゃないのだから、当たり前である。