「詩の話をしよう」カテゴリーアーカイブ

同人誌『八景』の発行

hakkei3blog



 改行屋書店店主の廿楽順治が主宰する同人誌『八景』第三号(八月一日発行)が出ました。
 今号から野木京子さんが参加しています。野木さんは横浜市金沢区の金沢八景在住の詩人。詩集『ヒムル、割れた野原』(思潮社)で二〇〇七年第五七回H氏賞を受賞しています。今回掲載しているのは、「七週間」「七週間――2」「水鳥たち、雪の骨」の詩三編。他の作品は成田誠の小説「雪夜」と、廿楽順治のちょっと長い詩「ぜろですよ」です。表紙の版画は、はやり金沢八景在住の同人の版画家・宇田川新聞の作品。定価五百円。購読については、以下のアドレスまでメールでご相談ください。改行屋書店代表アドレスkaigyuoya#tsuzura.com (メールの際は#を@に変えてください)。
 宣伝ついでに野木さんの詩「七週間」をご紹介します。

 七週間

              野木京子

どうにも答えがわからないのです
空には見えない星がいっぱい
ゆっくり回転している
役目を終えた火は宙へ行くよ
前日 迎えにきていた小さな子供のようなものが隅にい
 て
宙へ行くからひきとめてはいけないよ とわたしに言っ
 たのだけど
一週間が七回めぐるまでは
どうにも ただそのひとはそのひとの中心に隠れてしま
 っただけのように思える

そのひとの本はわたしのなかにあるので
いつでも頁をひもといて読むことができる

空には見えない星がいっぱい
それが だれでも知っていて だれもが知らない秘密な
 のだから
迎えに来たものはそう言ったのだけれども

一週間が七回めぐったときには
黒い空から見えない星がたくさん地上の人を見ている
きっとそう思えるようになるはず
だから 空を思うとひとは生きていけそうな気になるよ
小さな子供のようなものはやはりそう言う

モスラ


 とうとうザ・ピーナッツがおふたりとも亡くなられた。ファンというわけではないが、子どものころからなじみのある歌手だったので、それなりの感慨がある。今度作った『詩集 怪獣』にもザ・ピーナッツがでてくる。もちろん、モスラがらみである。モスラは善玉ということで、人気があったようだが、わたしはあまり好きではない。顔がさえないし、結局は芋虫だもんな、というように思っていた。映画自体にもあまり熱中した記憶はないが、しかしザ・ピーナッツのふたりの声の重なりは記憶に深く残っている。『詩集 怪獣』に入れた詩を、追悼の意を込めて引用しておこう。

 モスラ、や
呼ぶときのわたしはふたりだった
アンタトワタシ
きみわるいくらいに声がぴったり合った
むやみに大きくて
動きまわるだけのあれ
手足もないのに
恥ずかしくも名まえをつけられてしまった
きみはばかだな
南洋の土人から呼び捨てにされたくらいで
泣くやつがあるか
死んで小さくなった子どもらは
ようやく
やってこなかった宿題のことを告白する
海ヨリ深ク反省シテマース
だがだいじょうぶ
きみらが大人になるころ
東京はあの夕焼けみたいに
もののみごとに崩壊しているさ
モスラ、や
もすら、ときたもんだ
そうやって声を合わせていると
わたしは多数であることを
泣いてわすれてしまう
なむみょうほうれんげきょう
もう死んでるからといって
(おじいさんたちも)
わがまま言わずに
ふたりとも
ちゃんと公園へ避難してくださいね

崖下の事故


 発行物に掲載した作文集『封切り』から一編を紹介します。
   

 

崖下の事故

 正午を過ぎた頃、崖下にある経正の家に省電が入ってきた。母が「丸玄」から帰ってくるまでにはまだ間がある。その前に引き取らせたいところであったが、躯体にひどい歪みが出て、当分は動かせぬという話になった。
 省電の前面の網には小僧が引っ掛かっていた。虫の息である。「小僧さん、お前さんのいのちはもう房州の鮪のようになっているよ」。経正は歯に衣着せぬ物言いをするが、虫になってしまった小僧には殆ど聞こえない。奉仕、つくつく奉仕、と途切れ途切れに泣いているのが哀れだ。
 経正は神保町の秤屋にいた頃を思い出した。ある時、客の供をして重いドイツ製の秤を抱えながら、上野へ行ったことがあった。上野駅のドームはその頃まだかろうじて焼け残っていた。ドームの天井の隙間から、光が注いで客の風貌を暗くした。経正はその帰り、省電に轢かれたのである。車の下で、俺もとうとう虫になっていくのかと、本当に心細い思いをした。だから小僧さん、新時代なんだから君は思い切って鮪になった方がよい。崖下の家にいると、湿気にやられて誰もが碌な事を考えないのだ。
 経正は書斎から出て、省電に乗り込んだ。そういえば母もこの車に乗っていたはずだが、見当たらない。「丸玄」には行かなかったのかもしれない。経正は袂から古い「太陽」を取り出して、ぱらぱらと捲った。紙面は、権野丞首相断固列強の包囲網を突破すべし、然らずんば全軍をして変態あるのみ、という性急な論調に覆われていたが、そうもいくまいと経正には思われた。
 省電は湿気にあてられたのか、後部から複葉機に変容しつつあった。もちろん、崖下を離れてしまった経正には、このさまが見えない。「小僧さん、我慢なさい。もう少しだよ」。そう念じてはみたものの、経正はどうも何かが違うと感じはじめていた。デジャヴのようなものである。一体、省電に網なんかあったかしらん。だいいち網さえあれば、俺もあの時寸断の憂き目には会わなかっただろう。網は街鉄の時代の話ではなかったか。などと考えていると、そろそろいつもの癇癪が起こりそうな気配がしてきた。
 正午を随分過ぎたところで、瀕死の小僧には気の毒な話だが、いつもの昼寝の時間が近づいてきたのであった。「さてと」。経正はふたたび寸断された姿で、ごろんと省電の車内に転がった。言うまでもなく、あたりは血だらけである。