発行物に掲載した作文集『封切り』から一編を紹介します。
崖下の事故
正午を過ぎた頃、崖下にある経正の家に省電が入ってきた。母が「丸玄」から帰ってくるまでにはまだ間がある。その前に引き取らせたいところであったが、躯体にひどい歪みが出て、当分は動かせぬという話になった。
省電の前面の網には小僧が引っ掛かっていた。虫の息である。「小僧さん、お前さんのいのちはもう房州の鮪のようになっているよ」。経正は歯に衣着せぬ物言いをするが、虫になってしまった小僧には殆ど聞こえない。奉仕、つくつく奉仕、と途切れ途切れに泣いているのが哀れだ。
経正は神保町の秤屋にいた頃を思い出した。ある時、客の供をして重いドイツ製の秤を抱えながら、上野へ行ったことがあった。上野駅のドームはその頃まだかろうじて焼け残っていた。ドームの天井の隙間から、光が注いで客の風貌を暗くした。経正はその帰り、省電に轢かれたのである。車の下で、俺もとうとう虫になっていくのかと、本当に心細い思いをした。だから小僧さん、新時代なんだから君は思い切って鮪になった方がよい。崖下の家にいると、湿気にやられて誰もが碌な事を考えないのだ。
経正は書斎から出て、省電に乗り込んだ。そういえば母もこの車に乗っていたはずだが、見当たらない。「丸玄」には行かなかったのかもしれない。経正は袂から古い「太陽」を取り出して、ぱらぱらと捲った。紙面は、権野丞首相断固列強の包囲網を突破すべし、然らずんば全軍をして変態あるのみ、という性急な論調に覆われていたが、そうもいくまいと経正には思われた。
省電は湿気にあてられたのか、後部から複葉機に変容しつつあった。もちろん、崖下を離れてしまった経正には、このさまが見えない。「小僧さん、我慢なさい。もう少しだよ」。そう念じてはみたものの、経正はどうも何かが違うと感じはじめていた。デジャヴのようなものである。一体、省電に網なんかあったかしらん。だいいち網さえあれば、俺もあの時寸断の憂き目には会わなかっただろう。網は街鉄の時代の話ではなかったか。などと考えていると、そろそろいつもの癇癪が起こりそうな気配がしてきた。
正午を随分過ぎたところで、瀕死の小僧には気の毒な話だが、いつもの昼寝の時間が近づいてきたのであった。「さてと」。経正はふたたび寸断された姿で、ごろんと省電の車内に転がった。言うまでもなく、あたりは血だらけである。