くだもののにおいのする日

 先日、「ガーネット」の元同人だった阿瀧康さんから、松井啓子の第一詩集『くだもののにおいのする日』を送っていただいた。
 自分が持っているのは、若いころ買った思潮社の女性詩叢書の『のどを猫でいっぱいにして』と『順風満帆』。第一詩集は読んだことがなかった。八〇年代の女性詩(という言い方があまり好きではないが仕方ない)は、たいそうおもしろく、うまい詩が多かった。なかでも松井啓子はピカ一だったのではないかと思っている。あれから三〇年になるが、今の詩はこの時期の水準を超えているだろうか。
 もっとも三〇前だってこねくり回した詩は多かったろう。そういう詩が忘れられてしまうのは仕方ないが、松井啓子まで一緒に流されたんじゃたまらない。
 とりあえず、詩集名になった詩を引用しておこうかな。

  くだもののにおいのする日

下宿のおばさんは
暑いさかりに 日帰りで
京都に納骨に行くのだ と言った
わたしは銭湯へ出かけ
髪を洗う女のひとの
長いながいしぐさを見ていた
まだ明るいうちの湯舟の色と
流れてたまる湯水を見ていた
夕立も長雨も
局地的な大雨も
小さい女の子の小さい局部も
長なすも丸なすも
ふたなりの動物も見たことがある
わたしは見知らぬ土地へ出かけ
バスの窓から
土樋 という地名を見ていた
列車の窓から
ここより新潟
という文字を見送ったことがある
にわかに雹が降り出して
なすや大ばこの葉が
つぎつぎに裂けていくのを
雨のまに草木が伸びて
はじめにあおいの花が咲き
つぎに除虫菊が裂き
それからクレオメの花が咲き
つぎつぎと夏の花が咲きついでいくのを
二階の窓から眺めていたことがある
わたしは銭湯へ出かけ
手を休めて
今朝の雷の意味と
誰かがわたしを
わたしが誰かを
どんな名前で呼ぶあっていたのだったかを
思い出しに行くのだ と言った

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